“トンボ”の話
“トンボ”を切る
“トンボ”を切るといっても、宙返りをするわけではない。昔のデザインの業界では、トンボを描くことをこのように言っていた。実際、僕が初めて作業を指示されたのが「“トンボ”切っておいて」という先輩の言葉だった。今だったらネットで調べることができるのだが、当時は調べる手立てがないので教えてもらうしかない。Wikipediaでトンボを検索してみると「トンボとは印刷物を作成する際に、仕上がりサイズに断裁するための位置や多色刷りの見当合わせのため、版下の天地・左右の中央と四隅などに付ける目印。見当標とも言う。」とある。要するに、“トンボ”がないと印刷することができないということだ。
“トンボ”のために机は道具だらけ
今はDTPソフトが自動で“トンボ”を作成してくれる便利な世の中になったが、版下の時代に“トンボ”を描くというのは結構大変だった。まず直角を出すだけでも一苦労で、T定規という製図に使う道具を使わないといけない。机もT定規を使うために製図板を使う人が多かった。線の太さも重要で、常に0.1ミリの太さで書けるようにペンを砥石で研ぐという作業もあった。他にも必要なものが沢山あり、インクやら鉛筆やら消しゴムやら、机の上は道具だらけだったのだ。
活躍する“トンボ”
“トンボ”が描けたら、そこからが版下作業になる。写植機を使って印画紙に焼かれた文字や写真などを、デザイナーが作ったレイアウト(設計図)を基に組み立てていく。その際に、文字は文字版、写真は写真版と分けて配置する。それぞれの版に“トンボ”が描かれていて、それを目安に位置を合わせるのだ。また、必要な線などは版下に直に描いていくことになり、これは線版と呼ばれていた。出来上がった版下は、文字版、写真版、線版とに分けて製版カメラで撮影され、そのフィルムが製版工程にまわる。製版でも“トンボ”に合わせて作業をすることになる。どこに行っても“トンボ”は大活躍するのだった。
永遠のヒーロー“トンボ”
今では簡単にできてしまう“トンボ”。簡単だからなのか、その必要性も分かっている人も少なくなったような気がする。もう随分前の話だが、デザイナーを募集をしたことがある。面接の際にトンボに関する質問をしたのだが、なぜ“トンボ”がなければいけないのか全く知らなかったのだ。DTPの時代になって、“トンボ”は“トリムマーク”とか呼ばれているが、その役割は今でも変わらない。日夜、印刷物のために頑張っているのだ。
“トンボ”のエピソード
“トンボ”が手描きだった昔の話。サイズを数字だけで指示することが多かった。あるベテラン・デザイナーが数字を言って「これで“トンボ”切っておいて」と僕より少しだけ先輩に依頼。翌朝、先輩が「台紙は何処に?」と尋ねると「机に置けないので、隣の部屋にあります」と。先輩が部屋のドアを開けると、そこにはグルグル巻きになった台紙が置かれていた。ミリメートルとセンチメートルを間違えていたそうだ。